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コロナウイルスにともなう、入試日程や試験範囲の対応策について思うところ

教育・子育て

新型コロナウイルス感染拡大の影響で休校が長期化しました。それを受け、都立高校の入試で出題範囲を削減することになりました。中3の教科書で学習する漢字、三平方の定理、関係代名詞などを除外するそうです。

また大学共通テストに関しては、延期の案も検討されていました。しかし、とりあえずは予定通りの日程で行われる方針だそうです。試験範囲に関しては協議中です。

世の中にいろいろな意見はありますが、私の方でも思ったことがありますので、それらを書いてみたいと思います。

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入試日程について

入試日程に関しては予定通りしたらいいと思いますが、別に遅らせてもいいんじゃないかとも思いました。春休みを使えば、うまく帳尻を合わせることができるのではないでしょうか。

とはいえ、コロナの第二波がくることを考えると、とりあえずは予定通りにしておいて、延期に関しては、その時のための手段として取っておくのも一つの方法かもしれません。

それよりも日程に関して思ったことが、別にあります。そもそも共通テストは「年間複数回実施」の予定でした。それの本来の目的は何だったのでしょうか。

共通テストを複数回実施するという話をきいて、その時の私のイメージはこうでした。

学校の学習内容では物足りず、自ら進んで独自に勉強を進めていった人。あるいは学校という枠にとらわれない、いわゆる天才児が、飛び級的な形で受験していく。そういう試験になるのではないかと思っていたのです。

それが結局、高校の授業進度や学習指導要領との兼ね合いで、見送られることになりました。それを聞いて、「なんじゃそりゃ」と思ったものです。そもそもそういう枠にとらわれない人をすくい上げるのが、大学入試改革の目的だったのではないのでしょうか。

今回の入試日程をどうするのかという騒動を考えると、共通テストの複数回実地の実現はもう無理ですね。

話がずれてしまった気がしますが、とりあえず、私の考えとしては、入試日程はどうでもいいと思います。

勉強に対しての意識が高い人は、入試が通常通り行われるものとして、休校中も普通に勉強をしています。意識の低い人は、仮に一か月試験が伸びて、その分学校で教わったからと言って、何かが爆発的に変わるものでもありません。

さらに言えば学校の先生は、この際に意識を変えるべきでしょう。学校の先生の仕事は、勉強のスケジュール管理なのです。受験までに全部教えようとするから、一杯一杯になり、間に合わなくなります。

先生の仕事は、生徒たちの学習スケジュール管理だと考えれば、負担感は減るのではないでしょうか。結局勉強するかしないかは、生徒しだいです。

出題範囲について

最初に書きましたが、都立高校の入試で出題範囲から、中3の教科書で学習する漢字、三平方の定理、関係代名詞などを除外するそうです。

漢字はまだいいと思いますが、三平方の定理を除外するとなると、図形問題はどうなるのでしょうか。

三平方の定理を使わずに、差をつけるための問題を作るとなると、マニアックな、もしくはトリッキーな問題になるような気がします。そこであらわれる差は、はたして高校の望むものなのでしょうか。

関係代名詞を除外するということは、長文中にも関係代名詞を使わないということになります。なにやら単調な文になりそうです。

また、関係代名詞を含む後置修飾こそが、日本語と英語の一番の違いです。後で付け加えるという感覚が、英語にとって一番大事なものだと思います。関係代名詞を除外しちゃまずいんじゃないの、というのが私の感想です。

そもそも入試の目的とは何でしょうか? もちろん順位づけの意味もありますが、それと同時に、その人がその高校なり大学で学ぶのに、必要な学力があるかどうかを調べるというのも、その目的の一つです。であれば、出題範囲は変更されるべきではありません。

先ほどの入試日程のところでも書きましたが、学校で教える時間がない、というのは確かにそうでしょう。ですが教えないとできないという考えは、学校の先生の傲慢でもあります。生徒は教えられたから理解するのではなく、自ら勉強して自ら理解するのです。

アクティブラーニングの有用性が叫ばれ、学校にもどんどん導入されています。教える時間がないというのなら、そのアクティブラーニングをもっと有効活用すればよいです。

先生が行うのはペース管理であって、勉強するのは生徒自身なのですから。

まとめ

こういうことは、どのような決定をしても、誰かにとっては不公平になります。だからなにがしかの文句は出てきます。関係者の方は大変だろうなぁとは思います。本当にご苦労様です。

私の意見としては、入試日程、出題範囲ともに予定通りに進めるべきという考えです。やる人はやっていますし、やらない人はやっていません。それは授業があろうがなかろうがです。

いつまでに何をしてもらいたいかさえはっきり示しておけば、それで十分でしょう。それでやる人はしっかりやります。

そういう意味では、逆にこの状況は良かったかもしれません。入試改革の目的の一つである、「主体性をもって学ぶ」という部分をはかることができるのですからね。

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