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大学入試改革とは何なのか? その目的と課題。

分からない問題に考えこむ女子高校生 教育・子育て

2020年より始まる大学入試改革ですが、結局何なのか分かっている人いますか? 英語4技能とか記述問題とかいわれていますが、それが本質なのでしょうか? そこで、私なりに聞いたことや考えたことをつらつらと書いていきたいと思います。

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ある学長の話

そもそも大学入試改革をする目的は何なのでしょうか。私がある大学の説明会に行ったとき、そこの大学の学長さんが話されていた内容。その内容が実は、大学入試改革に関係しているのではないかと、私は思うのです。

それはこんな話でした。(かなり前の話なので、細かい点は違っているかもしれませんが、大筋こういうものだったということでご承知ください)

今の世界はグローバル化が進んでいます。グローバル化には2点の特徴があります。一つ目はすぐ世界に広まるということ。言葉にしろ物にしろ、発表すればインターネットを使って全世界に広がっていく。二つ目はランキング化されるということ。それまで地元相手の商売でよかったものが、インターネットによって実はもっと安く品質の良いものが世界にはあることが分かってしまうため、世界との闘いになってしまう。

ではそういう世の中で活躍していく人材をどう育てていくのかというと、エリート教育になります。私の大学では入学者が○千人いますが、そこからさらに絞って□十人(すいません、この辺の数字は曖昧です)に対して徹底的に教育をします。

その他の学生には通常通りです。ただトップ層が成長しているのを見て、それに触発されてがんばってくれるのではないかという風に考えています。

私としてはけっこう衝撃的な話でした。この話を聞いた当時、大学入試改革の話はまだありませんでしたが、アマゾンやグーグル、アップルなどグローバル企業が日本に進出してくるのに対して、日本企業は後手に回っている状況でした。そのために日本の教育はどうあるべきかという話の中で、先ほどの話があったように思います。

国際バカロレアについて

またそれと同時期だったとおもいますが、立命館宇治高校の説明会に参加しました。立命館宇治高校ではIBコースというものがあります。IBとは国際バカロレアのことで、世界のトップ大学が認める国際カリキュラムです。

ホームページによるとこういう内容です。

国際バカロレアは、全人教育に通ずる教育といえます。国際社会の一員として、異文化に対する理解力と寛容性を持ち、自覚と責任ある人格形成を行うこと、又、思考力・表現力に重点を置いた高い知的水準の達成を目標に掲げています。そのレベルの高さやバランスの取れた教育は、イギリスのオックスフォード大学やケンブリッジ大学、アメリカのハーバード大学やマサチューセッツ工科大学など、世界の名門大学でも認められています。

具体的なイメージは難しいのですが、一般的な高校で通常行われている授業とは違いますね。そしてその世界水準の教育を、立命館宇治高校はやっているとのことです。

アクティブラーニングについて

それからしばらくして、大学入試改革や高大連携の話が出てきたように感じます。色々な高校の説明会でアクティブラーニングの話が出てくるようになりました。先生が一方的に授業をするのではなく、生徒たちがテーマを決めて自分自身で調べて、それを発表するという形式の授業です。

先生が授業する形式では生徒の中に理解として残るものは半分もないが、自分で調べて人に教えるとそれが80にもなるそうです。また、チームでやることによって協調性やリーダーシップが身につくなど、いろいろな良い面が謳われています。

いいことずくめですが、実際のアクティブラーニングの授業を見てみると、まぁグダグダです。始まったばかりですから、ここから洗練されていくのではないかとも思いますが・・・

大学入試改革について

そこから文部科学省から大学入試改革について、その目的が発表されました。

「グローバル化の進展や人工知能技術をはじめとする技術革新などに伴い、社会構造も急速に、かつ大きく変革しており、予見の困難な時代の中で新たな価値を創造していく力を育てることが必要です」

最初に書いた大学の学長の話とも少しリンクしますね。また各高校がアクティブラーニングを導入していったのも、そういうことでしょう。

それで具体的に大学入試はどうなるのかというと、ざっくり言うと2点ありまして、「記述式問題の導入」と「英語4技能の評価」です。これが先ほどの入試改革の目的と、かみ合っているのいないのか、私としては疑問です。特に英語に関しては目的から考えると、二の次じゃないのかと思います。

また話を聞いていると、文科省の発表を受けた後も、今までやってきたことは間違っていない、変わらずやっていくだけだ、という高校が多くありました。記述問題が多くなろうと結局は基礎力が大切だから、やり方は変えません、ということです。

ただ高校が変わらなければ、この入試改革の意味はなかった、ということになりますよね。いや、最初の学長の話からすると、変わるべき高校は上位校だけで、そもそも中・下位校にとっては、この大学入試改革は関係ない話なのかもしれません。

今後の展開はどうなるのか?

私が最初に大学入試改革という話を聞いて思ったのは、いよいよ日本でも「飛び級制度」ができるのか、ということです。

高1や高2、さらに言えば中学生が大学入学共通テストを受けて、それで大学に入学できるというシステムができるのではないかと思ったのです。ですが、実際はそんな話はありませんでした。しかし飛び級のシステムはいつか実現するのではないかと私は思います。

あるいは国際バカロレアのような試験になるのではないかと思いましたが、今のところそうではありません。ただ、これは今後その方向に向かっていくのだろうとは思います。

しかしそれが本当に良いのでしょうか? バカロレアはいわば国際エリートを育てようという教育です。日本人全員がエリートになれるかといえば、それは無理でしょう。リーダーシップを発揮して引っ張っていく人がいれば、その人の指示をきちんとこなしていく人も必要です。

あるいは外国人労働者を受け入れるので、その人たちを使うリーダーを育成するという考え方でしょうか。これまでの日本の教育は、指示をきちんとこなしていく人を育てる教育だったかもしれません。そして今回の大学入試改革を通じて、文科省が目指しているのは、リーダーシップを発揮できる人間を育てる教育のように感じます。

理想は学力別のクラス分けのように、本人の適正に応じてバカロレア型と従来型の授業に分けることだと思います。しかしそうするとどの様にどの段階でその適正を見極めるのかという問題があります。

方法としてはとりあえず全員にバカロレア型の授業を受けさせることになるかと思います。そしてそこで脱落していく人達を従来型授業で受け入れていくという形になるでしょうか。時期は早ければ早いほど良いです。すると小学校(あるいは幼稚園?)からになるのでしょうか。そこから学年が上がるにつれて、バカロレアのふるいにかけられていくのです。

今までのものが甘く見えるほど、恐ろしいほどの学歴社会の到来を予感させます。またそれを防ぐためにも多様な価値観や選択肢を用意する必要があります。

まとめ

まず、そもそも大学入試改革の目的はアマゾンのジェフ・ベゾスやマイクロソフトのビル・ゲイツ、アップルのスティーブ・ジョブズのような人材が出てきやすい社会を作ることです。そのための教育として従来型の教育ではなく、国際バカロレア型の教育を目指したのだと思います。「記述式問題の導入」と「英語4技能の評価」はそのさわりに過ぎず、今後もどんどん変化していくでしょう。

またバカロレア型の授業についていけない人はでてきますので、その人たちの受け皿となる多様な価値観が必要と考えます。個人的には従来型の教育で埋もれてしまっていた人たちがこの大学入試改革で認められるようになる反面、与えられた問題をしっかりこなしていくことができる人が、この大学入試改革によって切り捨てられないことを願っています。

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