学校には行った方がいいの? 行かなくていいの?

おすすめ勉強方法

朝起きて、「学校に行くの、面倒くさいなぁ」と思うことは、誰しもあるでしょう。そこから発展して「何のために学校に行くのだろう?」と思うこともあります。さらに「学校なんて、行く意味なんかない」、「むしろ、学校なんて行くべきじゃない」となるかもしれません。

話題の You Tuber 少年革命家のゆたぼんは「学校に行きたければ行けばいいし、行きたくない子は行かなくていい」と言いました。これについて、どう思いますか?

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学校に行かないといけない

「学校には行かなくてはいけない」という人がいます。というか多くの人はこの考え方でしょう。

「今日学校に行きたくないなぁ」と言うと、「何言っているの! ちゃんと行きなさい!」と言われますよね。普通はそこで終わりなんですが、もう少し突き詰めて考えてみましょう。なぜ学校に行かないといけないのでしょうか。

実は「学校に行かなくてはいけない」には、これといった根拠があまりないんですね。次に述べますが、多くのことは、学校に行かなくてもできるからです。

とはいえ、いろいろな人たちとともに過ごすことで、社会性が身につくということはあります。学校に行かなければ、自分と同系統の人としか絡まなくなるという傾向はあります。学校に来ないヤンキー(古い?)たちは、やはりそういった人たちとつるんで行動していますよね。

しかし、「学校に行くと社会性が身につく」というのは、二次的なものです。やはり学校の本質は勉強です。すると「勉強をするためには、学校に行かなくてはいけない」とまで言い切るのは、少し難しいでしょうか。

学校には行かない方がいい

逆に「学校には行かない方がいい」と言う人がいます。なぜ学校に行かない方がいいのでしょうか。

学校にはいろいろな人が集まります。特に公立の小学校・中学校ではその地域の生徒が集まります。なので、賢い子もいれば、そうでない子もいます。運動ができる子もいれば、苦手な子もいます。裕福な家庭もあれば、そうでない家庭もあり、家庭の事情も千差万別です。

そう考えると、そんな中で統一した授業が、はたしてできるのでしょうか。自分のレベルに合っていない勉強は時間の無駄。家で一人で勉強したほうがましなんじゃないか、という意見です。

またそういう多様性が大きいと、そこには「もめ事」がおこります。そして「いじめ」にも発展します。いじめをなくそうとする試みはありますが、いろいろな人があつまるという構造上、程度の差はあれ「0」にはできません。

そんな中でコミュニケーションをとって、何とかやっていくというのが、社会性を身につけるというやつなんでしょうけれど、難しい人には難しいですね。

学校には行かなくてもいい

もう少しおだやかなもので、「学校には行かなくてもいい」と言う人がいます。学校で学べることは、他でも学ぶことができるという意見です。

確かに、今は通信教育も充実しています。学習という点だけで考えれば、学校に行く必要はないかもしれません。

友達を作るのもオンライン上で作った方が、共通の趣味や傾向を持った仲間を作りやすいという考えもあります。

こうなると、学校には行かなくてもいいですね。

大きな視点で考える

さてこれまで述べてきたことは全て、子供目線、自分目線の話です。そうではなく、もっと大きな視点でみると、また別の考えが出てきます。

もしあなたが総理大臣なら、今の日本をより良くするためにどう考えるでしょうか。

今の日本には、少子高齢化の問題があります。資源を他国に頼っているという問題もあります。食料自給率の低さも問題です。また世界の産業構造が変わり、日本はそれに後れを取り始めています。もちろんその他にも、いろいろ問題はあります。

そういった問題に対して、一つ一つ個別に適切な対策をしていくのは大事です。ですが、何かをすればそれに付随する別の問題があらわれて、それに対応するとまた別問題があらわれます。なかなか根本的な解決には至らないのが実情です。

ですが長期的に見て、そういった問題を解決する方法があります。それが「教育」です。教育の質やレベルを上げて、将来そういった問題を解決できる人たちを育てるのです。

大学入試改革があり、それに伴って学校教育の内容も変わってきました。アクティブラーニングの導入やICTの活用などで、教育の質を高めようとしています。

これらの目的は、ただみなさん一人一人に賢くなってもらいたいという単純なものではありません。それがまわりまわって、日本という国のためになるから、みなさんにより良い教育を受けさせているのです。

「義務教育」という言葉があります。日本国憲法にこうあります。

すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ 

この「普通教育」を行っているのが、小学校と中学校です。そう考えると基本的には、保護者は自分の子供を学校に行かせなくてはなりません。それは子供自身のためでもありますが、まわりまわって保護者自身のためでもあり、そして日本のためになります。

自分が日本を預かる「総理大臣」だとして考えてください。日本をより良くしていくためには、様々な問題を解決できるような優れた人たちが必要です。そこでより良い教育システムを作って、そのシステムを改善しています。

そんな中「学校に行くの、面倒くさいなぁ」という人が出てきたとします。どう思いますか?

「面倒くさいとか、そんなことはどうでもいい。これからの日本をより良くしてもらわないといけないんだから、ちゃんと学校に行って勉強しなさい」

こうなるんじゃないでしょうか。

さらに大きな視点で考える

例えば、今世界では病気に苦しんでいる人がいます。また経済的に貧しく、飢えに苦しんでいる人もいます。環境破壊や、地球温暖化などの問題もあります。そのような中で、絶滅に瀕している動物がいます。

また、私たちは化石燃料に頼って生活していますが、これもいつかはなくなります。再生可能エネルギーの普及も進められていますが、まだまだこれからです。

原子力発電所で出た「高レベル放射性廃棄物」の処分の問題もあります。これが出す放射能は、人体に影響のないレベルに弱まるまでに数万年以上かかります。今現在は地下300m以深の地層に埋めています。

この「高レベル放射性廃棄物」ですが、埋めっぱなしで本当にいいのでしょうか。もっと有効な処分方法を生み出す必要があるような気もします。

さらに言えば、どんなに頑張っても地球はいつか滅びます。太陽には寿命があります。50億年後には太陽は、赤色惑星になって、地球を飲み込んでしまうのです。それまでに別の地球型惑星に移住する方法か、あるいは太陽を制御する方法を開発しなくてはなりません。

そのように世の中には、解決すべき問題があふれています。もちろん、こういった問題は、今すぐに解決することはできません。ですがこれらの問題を、誰かがいつか解決しないといけないのです。

人間は社会的な生き物

地球全体で解決しないといけない問題があります。それに対して、「そんなの私がすることじゃないわ、もっと賢い人がすることだわ」と思う人もいるでしょう。ですが、そうとも言えないのです。

人間は社会的な生き物なのです。決して一人では生きてはいけません。農家の方が作った食べ物を、運送業者の方が運んで、お店の方がそれを売って、お母さんが料理をしてそれを食べます。

普段使っているものも、いろいろな人の手を渡ってきています。スマホなんかもそうですよね。レアメタルが使われていますが、それらを採掘している人がいます。部品を作る人や、それを組み立てる人がいます。デザインをしたり、プログラムを組んだりする人がいます。

自転車も消しゴムもシャーペンも定規も、ボールも茶碗もお皿も布団も歯ブラシも、何もかも自分一人では作ることはできません。いろいろな人が協力して作っていて、それによって私たちは生きているのです。

地球レベルの問題を解決する優秀な人も、食事をしますし歯も磨きます。私たちと同じように生活をします。私たちと同じように、一人では生きてはいけません。そういう優秀な人も、普通の人と協力して生きている。つまり優秀な人も普通の人も含めて、全体で「人間」という社会的な生き物なのです。

普通教育を受ける必要はある

話が大きくなり過ぎましたので、もう一度元に戻します。

「学校に行かなくてはいけないのか?」これに関しては、別に学校に行く必要はありません。ただ上記で述べたように、「普通教育」は受ける必要があります。普通教育は社会のためでもあるからです。

そしてその「普通教育」を受けるのに一般的なものが「学校」です。もちろん事情があって、学校に通えない人もいます。そのような人は普通教育を受ける別の手段を見つけて、それで代用すればよいです。

「学校には行った方がいいの? 行かなくていいの?」これに関してはそれぞれの判断ですね。先ほどの通り、学校に行く必要はありません。ただ私は「行った方がいい」という意見です。

ゴールデンウィークが終わって、話を聞くと「久しぶりにペンを持ちました」なんて言う子がいます。早く塾に来て、問題を解いている子がいます。何をしているのかと覗くと、宿題を大慌てでやっています。定期テスト前に提出物が発表されてから、ようやく課題に取り組む人がいます。

まぁ、そんなもんでしょう。人間なんて弱いものです。ある程度強制されないと、勉強なんてできません。

まとめ

少年革命家のゆたぼんは「学校に行きたければ行けばいいし、行きたくない子は行かなくていい」と言いました。これは確かにその通りです。「普通教育」を受ける場が、学校である必要はありません。

ですがどのような形であれ、「普通教育」は受けないといけません。となれば、学校という枠にとらわれない一部の天才と、事情のある人以外は、素直に学校に行って「普通教育」を受けておくのがいいんじゃないでしょうか。その方が逆に楽だと思いますよ。

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