「情けは人の為ならず」という言葉があります。人のために何かをしてあげると、それがまわりまわって自分のためになるという意味です。情けは人のためではなく、自分のためになると思ってやりなさいということですね。
とはいえ実際には、人のためにしたことが、自分に返ってくることは、そうそうありません。ですが、そこをあえて自分のためだという心づもりで、みんなが人に親切にすると、お互い助け合う人にやさしい社会が築けるというわけです。
社会を円滑にするための、合言葉みたいなものでしょうか。
人のためにしたことは、自分には返ってこないといいました。しかし、勉強に関しては別です。なんと勉強に関しては、人のためにしたことが、そのまま自分に返ってきます。しかもこれは、まわりまわってという、まどろっこしいことなしに、直接的に返ってきます。まさに情けは人の為ならずです。
さてどういうことか説明していきましょう。
教えるのと教わるのはどちらがいいの?
テスト前に、友達同士で集まり、テスト勉強をしますよね。そしてわからない問題を教え合います。すると、お互いに教え合っているはずなのに、そのうちに教える側と教わる側に、立場が分かれていきます。これのどちらが賢くなっているのでしょうか。
教わっているほうが賢くなっていると思いませんか? 実は逆で、教えているほうが賢くなっているのです。実際にテストの結果を比べると、教えている人のほうが点数が高い傾向にあります。
ただ、そういってしまうと、教えているから賢くなっているのではなく、賢いから教えているのではないか、という反論があるかもしれません。確かにその面もあります。ですが、教えることによって賢くなっているのもまた事実です。つまり賢い人は教えることによって、さらに賢くなっているのです。
ではなぜ、教えることで賢くなるのでしょうか。
教えるのは実は難しいです。単に知識を伝えても、相手には伝わりません。相手に理解できるように、かみ砕いて説明しなくてはなりません。かみ砕いて説明するには、その内容を完璧に理解していないとできません。
勉強を教えていて、相手に「え? どういうこと?」と言われたとします。その時、どう説明しようかと、頭をフル回転します。こう言ってあげたらわかりやすいかな? あるいはこう説明したらいいだろうか? という感じです。
その間、その人はその問題についてめちゃめちゃ勉強していることになるのです。それに対して、教えてもらっているほうは、説明を待っているだけです。この差がテストの点数の差につながるのです。
ということで、一つ意識を改革しましょう。これまでもしかすると、友達同士で勉強するとき、わからないところを教えてもらおうという気持ちで、参加していた人がいたかもしれません。逆ですよ。むしろどんどん教えてあげましょう。
説明することで、勉強になる
それに関連するような話で、このようなものがありました。それは麻雀の番組でした。解説をしている人が、このようなこと言ったのです。
解説するのが一番勉強になるんです。普段一人で勉強しているものの倍は違いますね
その方がおっしゃるには、対局者の打牌の意図を解説しなくてはいけなく、それを一生懸命に考えるので、とても勉強になるということです。
自分ならこうするというのは誰にでも言えます。ですが、他人の行為の意図を説明するのは難しいです。わかりませんものね。それを相手の立場に立って考えるのです。すると物事を違った角度から見ることになり、自分の視野を広げることにつながります。
さらに、この相手の立場に立って考えるというのは、何事においても大事です。相手の考えを知ることで、無駄な衝突を避けることができます。
「まぁ、あの人の立場だったら、そういう考えになるかもなぁ」
この考え方ができれば、人間関係が円滑になりますね。
わからない授業でも勉強になる
この考え方をどのように勉強に応用するかというと、学校の授業で使います。学校の授業を受けていて、教え方がへたくそだなぁ、と思う先生っていますよね。だからと言って、それで話を聞かなくなってはもったいない。
その先生は何が言いたいのか、なぜそういう説明をしたのか、そして自分ならどう説明するのか。そういうことを考えながら授業を受けると、へたくそだと思っていた先生の授業も、なんということでしょう。ものすごく身になる授業になるのです。
また独学での勉強にもいかすことができます。教科書や参考書を読んでいても、なかなか頭に入らないという経験をしたことがあるでしょう。そんなとき、仮想の生徒を想定して、その人に教えてあげるのです。
自分を客観視して、それに向けて理解させられるように説明をします。対象が自分なので、自分が納得できような説明を突き詰めて考えることができます。するとあれやこれや考えるうちに、新たな発見があります。視野を広げることにもつながるんですね。
まとめ
「物事を本当に理解した」とは、どういう時なのでしょうか? それは自分独自の視点が見つかった時です。その時に初めてそれを、本当に理解できたと言えます。人から教わっただけでは、本当に理解したとは言えません。
自分独自の視点を見つけるには、その対象について突き詰めて考える必要があります。パッと見てすぐわかるものではありません。あーでもない、こーでもないと考えつくす必要があります。人に教えることで、自然にそれを行うことができます。
将棋の羽生さんは自分の研究を隠すことなく、積極的に公表していきました。勉強を教えるのは、相手だけが賢くなるので損した気持ちだなぁ、というのはむしろ逆です。「情けは人の為ならず」なのです。
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