勉強に一番大切なものは何でしょうか? 才能でしょうか? 努力でしょうか? もちろんそれらがあるに越したことはありません。ですがそれら才能や努力を上回るほど大切なもの。いわばそれらの上位互換的なものがあるのです。結論から言えば、それは「継続」です。
勉強においてなぜ「継続」が大切なのか? そして継続し続けるにはどうすればよいのか? それを考えていきましょう。
才能を引き出すのは努力
勉強に何が大切かと聞かれて、「才能」だという答えを聞いたことがある人もいるでしょう。まぁ、勉強に限らず、何においても才能がある人はすごいです。
スポーツを見ていても一流の人たちの技術にただ感心し、あこがれを抱くということがあります。圧倒的な実力差を感じます。そんなとき、才能がある人はすごいなぁ、と思います。
ですが、イチローはこう言います。
努力せずに何かできるようになる人のことを『天才』というのなら、僕はそうじゃない。努力した結果、何かができるようになる人のことを『天才』というのなら、僕はそうだと思う
またフランスの哲学者、シモーヌ・ド・ボーヴォワールはこう言います。
人は天才に生まれるのではない。天才になるのだ。
ファッションデザイナー、ココ・シャネルはこう言います。
天分は、持って生まれるもの。才能は、引き出すものよ。
才能と努力の関係についてはいろいろ語られています。それらはやはり努力の大切さを語っています。才能は多かれ少なかれそれぞれの人の中にあります。そしてその才能を引き出すのが努力ではないでしょうか。
さて勉強の話です。周りを見回して、全然勉強をしているように見えないのに、点数を取っている人がいます。そんな人を見ると勉強は才能だけじゃないかと思ってしまいます。
実際小学生を見ていると、時にとてつもない頭の回転を見せる子供がいます。ですがそんな彼らも、中学生になると勉強に苦労する姿が見られます。まれに中学時代も努力なしで、成績をたたき出す人も存在します。しかしやはり彼らは高校になると苦労します。
「十で神童十五で才子二十過ぎればただの人」という諺が示す通り、努力なしの才能だけでは長くは続きません。どこかで終わりが来るのです。
努力はつらい
努力が大切なのはわかりました。では努力をすればいいのかといって、それが簡単にできるのではあれば苦労はしません。みんな努力って嫌いですよね。
そもそも努力の「努」の字ですが、どういう成り立ちか知っていますか? 分解すると「女」「又」「力」です。その昔、まだ女性が男性と同じような権利を認められていなかった時代のことです。女性の仕事は下働きのようなものでした。
そして「又」ですが、これは「手」を表しています。つまり女性の手を使った、いろいろな仕事ですね。そして「力」です。そういった下働き的な仕事を、力の限りやらせるところから、「努」という漢字が出来上がったのです。
そしてその「努」にさらに「力」を付け加えて「努力」です。もううんざりですね。「努力」の字を見ただけで嫌になってきます。さてその嫌いな努力をどのようにしてするかということですが、これには発想の転換が必要です。
つまり努力を努力と思ってやっている時点で失敗であり、努力を努力と思わずにできるようになることが、成功の第一歩なのです。
努力と感じずに努力するために一番良いのは、同じ目的を持った仲間を作ることです。それだけで努力がゲーム感覚になります。「テストの点数、勝負しようぜ」これだけで、テスト前の勉強の質が変わる気がしませんか?
またサポートしてくれる人の存在も大きいです。例えばライザップという会社があります。そこではダイエットをして、格好いい体をつくるサポートをしてくれます。
とはいえやる内容は、筋トレと食事制限です。この情報化社会ですから、やる内容は少し調べればわかってしまいます。であれば、別にライザップに通わなくても、自分でやればいいじゃないかと思いますよね。
ですが、そうはいきません。自分でやろうとすれば、どうしても辛くてやめてしまうのです。それが指導員がついて、「もうワンセットやってみましょう」とか、「ご飯を減らして豆腐にしましょう」とか言われると、それは努力ではなくミッションになるわけです。
塾に行く目的は何かと聞かれることはありますが、そういうことだと思います。切磋琢磨できる友達と、勉強の後押ししてくれる先生という存在ができること。決して塾は勉強を教わりに行くところではないんですね。
そんなこんなで努力をし始めました。ですが、また次の問題です。努力は続かないのです。三日坊主という言葉があるように、努力はそう簡単に続かないのです。
継続は力なり
才能の差は小さいが、努力の差は大きい。継続の差はもっと大きい。
誰の言葉かわからないそうですが、これが本質です。
再びイチローです
小さいことを積み重ねるのが、とんでもないところへ行くただひとつの道だと思っています。
将棋の羽生善治もこう言います。
私は才能は一瞬のひらめきだと思っていた。しかし今は、10年とか20年、30年を同じ姿勢で、同じ情熱を傾けられることが才能だと思っている。
例えば飴細工の職人さんの作業の様子をみたことはありますか? ものすごい手さばきで作業をしています。これは才能を超えたものです。長年の積み重ねによる技でしょう。まさに「継続は力なり」です。
ホルモン焼きの親父さんが開店準備をする様子を、YouTube で見たことがあります。この動きがものすごいのです。無駄がなく、美しさすら感じます。
レジ打ちの人が鮮やかにお札を数えたり、レストランの店員さんがテーブルの掃除をてきぱきとこなしたり、ショップ店員が服を素早くたたんだりとそういった例はたくさんあります。
これは努力でしょうか? もちろん努力はあるでしょうが、それを超えたものではないかと思います。仕事として日々継続して行うことで、無駄なことがそぎ落とされて洗練されることで、所作の美しさにつながっていくのです。
勉強にも同じことが言えます。すべての教科にいえることですが、特に英語です。英語は才能では有りません。日々の積み重ねが実力につながります。
継続するためには
ということで、勉強にとって何が一番大切かを考えてみました。それは才能ではなく、努力でもなく、継続することでした。もちろんこれは勉強に限らず、すべての物事においてです。
勉強を継続するためには、それを習慣化してしまうのが一番です。歯磨きと一緒です。おすすめは寝る前に勉強することです。勉強をやってそれが終われば、余計なことをせずにすぐ寝ます。
逆に言えば、寝る前にすべてのことを済ましてしまってから勉強を始めます。それが習慣になれば、勉強をせずには、気持ち悪くて寝られないということになります。
また、勉強を継続するためにはモチベーションも必要です。そしてモチベーションを持ち続けるには目標が必要です。目標は何でもいいです。「90点取りたい」「~に合格したい」「褒められたい」「将来~がしたい」などなど。ですが、できるなら遠い目標があるといいですね。
下を向いて歩いていると、地面の凸凹が気になってうまく歩けないことがあります。モチベーションが不安定になるかもしれません。ですが、遠くを見て歩くと、そんな些細なことは気にせずどんどん進んでいけます。
まとめ
さて「継続」が大切なのはわかりました。でも継続するためには、まずは始めなくてはいけません。ではいつから始めますか? 明日から? いえいえ、思い立ったら吉日です。
日々の継続の「日々」は、今日この日から始まっているのです。
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