宿題として練習問題を出そうとすると、「分かっているから、もうやらなくていい」と言う人がいます。
言葉尻をとらえるようですが、分かっているだけなら、練習する必要があります。実は「分かった」というのは、勉強のほんの入り口に過ぎないのです。
「分かる」と「できる」は違う
「先生、この問題分からないから、教えてください」と、ある生徒が問題を持ってきます。「この問題は、相似の考え方を使うんだよ。こことここが相似でしょ」と話します。すると「あ、もう分かりました」と、問題集を閉じてしまいます。
「え? 最後までやらないの?」とたずねると、「もう、分かったんで、大丈夫です」と答えます。
確かにこの子は「分かった」のかもしれません。しかし、だからといって「できる」とは限りません。
スラムダンクの桜木花道も「左手はそえるだけ」と教わってから、何万本もシュート練習を繰り返しました。「左手はそえるだけとわかりました」と、その後練習しなければ、山王戦の決勝点を決めたミドルシュートは、成功しなかったでしょう。
同じように、分かったら、次は「できる」ように練習しなくてはなりません。練習をして、初めて、できるようになるのです。
「できる」の次は「使える」ようになる
練習を頑張って、できるようになりました。それで終わりでしょうか? いえ、まだ先はあります。次は「使える」ようにならないといけません。
「できる」はいわば稽古です。「使える」は本番です。
「テストになると、頭が真っ白になって、できませんでした」という人がいます。これはもちろん精神的な面もありますが、一番の原因は練習の質にあります。つまり練習の段階で、本番を想定してやることが大切なのです。
「常在戦場」という言葉があります。いつも戦場にいる気持ちで、事に当たる大切さをあらわしたものです。これは剣道とか柔道、空手といった武道での話ですが、勉強においても当てはまります。
テスト前の課題をやっているのを見て、「この問題、本番で出たら解ける?」と聞くと、「いや、自信ないです」と返ってくることがあります。これは「常在戦場」の気持ちでやっていないからです。
この気持ちがあれば、取り組み方も変わってきます。答えを丸写しなんて、絶対にありえませんよね。丸つけの目も厳しくなりますし、やり直しも丁寧になります。これによって、「できる」が「使える」になるのです。
「使える」の先の世界
頑張って「使える」ようになりました。さて、それで終わりでしょうか? いいえ、まだまだ先はあります。「使える」の次は「使いこなせる」が待っています。
いわば応用問題に対応する力です。今まで培った知識をいろいろなところから持ってきて、当てはめたり、組み合わせたり、するのです。
この辺になってくると、センスも問われます。ですが、そのセンスも何もなしで、手に入りません。日頃の練習によって、そのセンスも磨かれていくのです。
「使いこなせる」の次はどうなるのでしょうか? 「発展させる」や「発見する」が待っているかもしれません。ここまでくると研究者のレベルになります。今はそこまでは求められませんが、興味がある分野なら、そこへ踏み込んでみてもいいかもしれませんね。
無知の知
「分かっているから、もういい」という言葉。ポロっと言ってしまいがちです。
ソクラテスは「無知の知」と言いました。ソクラテスはめちゃめちゃ賢い人です。その人が「私は何も知らないということを知っている」と言ったのです。
これはどういうことでしょうか? 例えば、何かの研究をしているとしましょう。そしてあることを発見しました。これは「分かった」です。しかし、1つ分かったことによって、また新たな疑問が10くらい出てくるのです。
そしてまた何か発見して、それに関する疑問が出てきます。その繰り返しです。つまり研究すればするほど、何も分からないことが、分かっていくのです。これが「無知の知」です。
そう考えると、少しやっただけで「分かった」となるのは、ちょっと恥ずかしいですね。ある研究結果によると、一般的な知識が少ない人ほど自信過剰になるのだそうです。これをダニングクルーガー効果といいます。
まとめ
知っていただきたいのは、「分かった」というのは、勉強のほんの入り口に過ぎないということ。そして「分かった」というのは、そんなに簡単なものではないということです。
勉強は苦しいです。やってもやっても先は長いですし、やってもやっても同じところをぐるぐる回っている気がすることもあります。ですが、本当は螺旋階段のように、少しずつ上に登っているのです。そうやって人は成長していくのです。
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