「桶の理論」というものを知っていますか? これは栄養学で使われる理論で、バランスよく栄養を取りましょう、という意味で使われます。
勉強において誰しも苦手はあります。そして苦手は作らない方がいいともよく言われます。ではなぜ苦手は作らない方がいいのでしょうか。その理由の一つがこの「桶の理論」にあるかもしれません。
今回は「桶の理論」と勉強の関係について、みていきましょう。
桶の理論とは何か?
「桶の理論」とは栄養学で使われる理論です。
必須アミノ酸というものがあります。フェニルアラニン、ロイシン、バリン、イソロイシン、スレオニン、ヒスチジン、トリプトファン、リジン、メチオニンの9種類です。これら必須アミノ酸は体内で合成することができません。なので、食物から摂取する必要があります。
ただ必須アミノ酸はバランスよく摂取しないと、十分なたんぱく質が生成されません。コメのアミノ酸スコアは65です。これはリジンが不足しているためです。他のアミノ酸がそろっていても、リジンが不足しているため、その分だけしかタンパク質が生成されないのです。
これを桶にたとえたのが「桶の理論」です。桶の側面は木の板を横に並べて作ります。そのとき板の高さがバラバラだと、板の低いところから水がこぼれていきますね。平均でもなく、高いところでもなく、低いところに合ってしまうのです。
なぜ桶の理論が起こるのか
なぜそのようなことが起こるのかというと、これは理科で学習する「酸化・還元」の問題を考えるとわかりやすいです。
酸化銅の銅と酸素の質量比は4:1です。今回は酸化銅が6gなので、銅が4.8g、酸素が1.2gです。二酸化炭素の酸素と炭素の質量比は8:3です。今回は炭素が0.15gなので、それと反応する酸素は0.4gです。
つまり炭素0.15gでは、酸化銅に含まれる酸素1.2gのうち0.4gしか反応できません。酸化銅における酸素0.4gに対応するのは銅1.6gです。もともとあっ酸化銅は6gなのでそこから酸素0.4gと銅1.6gを弾いて、残る酸化銅は4gとなります。
またその時に出る気体は二酸化炭素です、その量は、炭素0.15gと酸素0.4gを合わせて、0.55gです。もともとの酸化銅には酸素が1.2gあったのですから、それが全て反応すれば二酸化炭素は1.65g出るはずです。しかし炭素の量が足りなかったため、0.55gしか二酸化炭素が出ないという結果になるのです。
先ほどのタンパク質の例でいえば、リジンがこの炭素に相当します。ですからたんぱく質をたくさん作るには米にリジンを多く含む食物を組み合わせるのがいいです。リジンは大豆に多く含まれます。ご飯と豆腐入りのみそ汁という組み合わせは、おいしいだけでなく、栄養面でも理にかなっているのです。
フェルマーの最終定理
アンドリュー・ワイルズは少年のころよりフェルマーの最終定理に取りつかれます。フェルマーの最終定理とは「xn+yn = zn を満たす正の整数 x、y、z は、n が2よりも大きい整数ならば存在しない」というものです。
彼は大学でも「フェルマーの最終定理」に取り組もうと考えていました。しかし教授からやめるよう助言されました。フェルマーの最終定理はあまりの難問なので、成果の保証がないと心配したからです。形になるものを研究させたいという、親心ですね。
教授は「楕円曲線」を研究することを勧め、ワイルズもそれに従いました。彼はこの楕円曲線の研究で成果を出して、大学の教授になります。
時は流れ「谷山=志村予想」が発表されます。これは「全ての楕円方程式はモジュラーであるだろう」というものです。次にゲルハルト・フライが、「谷山=志村予想」がフェルマーの最終定理と関係している可能性を指摘します。
フェルマーの最終定理から距離を置いていたワイルズは、この話を耳にして再びフェルマーの最終定理に対する情熱に火がつきます。というのも自分が少年のころより追い求めていた「フェルマーの最終定理」と、大学で研究していた「楕円曲線」が関係しているのですから、それも無理はありません。
そこから紆余曲折あり、なんとかワイルズはフェルマーの最終定理を証明することに成功します。
勉強における桶の理論
この話を桶の理論で考えてみましょう。
桶に入った水が「フェルマーの最終定理」です。桶の横板は「楕円方程式」「モジュラー」「フライ曲線」「リベットの定理」「コリヴァキアン=フラッハ法」「岩澤理論」といったものです。
それらの横板のどれか一つでもかけていたら、そこから「フェルマーの最終定理」の水はこぼれてしまいます。全てそろったからこそ、桶の水量が「フェルマーの最終定理」に到達できたのです。
勉強においても同様です。だれしも得意教科・苦手教科や、得意分野・苦手分野があります。ですが、勉強は何らかのつながりがあります。そしてつながりをもって理解することで、それぞれの理解がさらに深まります。関係ないと思っていても、ぐるっと回って何らかの影響はあるのです。
理科に数学の知識が必要なのは言うまでもありません。英単語の語源に地理や歴史の知識がある方が理解が深まることもあります。国語の論説文などはそういった予備知識がある方が理解がしやすくなります。そう考えると苦手は克服しておくべきと思いますよね。
ただ勉強においては、栄養学における「桶の理論」とは違う面があります。アミノ酸における桶の理論は、足りない部分を補うために、足りない要素そのものを摂取する必要がありました。リジンが足りないので、豆腐入りの味噌汁を食べるようなものです。
ですが勉強においては、不得意分野に直接向き合う必要はありません。勉強に関しては二種類あるからです。苦手なもの自体を押し上げるか、得意な面から引き上げるかです。得意な面から引き上げる方がやりやすいと考える人も多いのではないでしょうか。
介護技術におけるボディメカニクスでは押すのではなく引くことが大事です。押すよりも引く方が小さい力で済むそうです。英語が苦手だったけれど、好きなプログラミングをしているうちに英単語が覚えられてきたり、麻雀好きが高じて、確率や統計といった数学分野の内容に興味を持ち始めたり。そのようにして、苦手が克服できることもありますよね。
もちろん苦手分野を苦手分野と意識し、克服しようとすることも大事です。どちらがどうということではなく、コインの裏表の関係です。
まとめ
桶の理論から言えば、苦手を克服することは大切です。ただこれは栄養学的なマイナスなイメージではなく、プラスのイメージでとらえたいです。つまり「足りないから損をしている」のではなく、そこが克服できれば一段高いステージに立てるという感じです。
また苦手を克服するための方法は、苦手そのものを克服しようとするやり方以外に、得意面から引き上げる方法があります。これに関してはあまり堅苦しく考えないほうがいいような気がします。気が向いたときに気が向いた方向から取り組むことができたら、それでいいのではないでしょうか。
何より大切なのは、苦手だからとやる前からあきらめるのはもったいないということです。「桶の理論」でいえば、苦手部分が埋まれば桶いっぱいの成果が得られます。苦手だからと切り捨てず、何事にも好奇心を持って対応できるようになりたいものですね。
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